1922年11月。エジプト・王家の谷で3,300年の封印が解かれた瞬間、世界は歓喜した。
しかしそれから間もなく、発掘に関わった人々が次々と命を落とし始める。「ファラオの呪い」——その言葉は瞬く間に世界中に広がり、100年以上が経った今もなお語り継がれている。
呪いは本当に存在したのか。それとも、すべては誇張と偶然が生み出した都市伝説なのか。この記事では、死者リストの実態から科学的な考察まで、ツタンカーメンの呪いの真相を徹底的に掘り下げていく。
ツタンカーメンとは何者か——少年王の生涯

ローランド・ウンガー古代エジプト第18王朝のファラオ ツタンカーメンの葬祭用マスク|CC BY-SAまず、この都市伝説の主役であるツタンカーメンについて整理しておく。
ツタンカーメンは古代エジプト第18王朝の王で、9歳前後で即位し、18〜19歳という若さで死亡したとされる。在位期間はわずか10年ほどだ。生前の統治はさほど目立ったものではなく、むしろ死後に発見された墓の豪華さと「呪い」の伝説によって、世界で最も有名なファラオのひとりとなった。
死因については今も議論が続いている。膝の骨折による感染症、マラリア、鎌状赤血球症——さまざまな説が唱えられており、2010年のDNA分析でもマラリアの痕跡が確認されたが、確定的な結論は出ていない。
3,300年もの間、盗掘を免れてほぼ完全な状態で残されていた墓の発見は、考古学史上最大の発見と言っても過言ではなかった。
発掘の経緯——ハワード・カーターとカーナヴォン卿

ツタンカーメンの墓を発見したのは、イギリスの考古学者ハワード・カーターだ。彼は貴族でありエジプト考古学のパトロンでもあったカーナヴォン卿(ジョージ・ハーバート、第5代カーナヴォン伯爵)の資金援助を受け、長年にわたって王家の谷を調査していた。
1922年11月4日、カーターのチームがついに地下に続く階段を発見。11月26日には前室への扉を開き、翌1923年2月16日に埋葬室の封印を解いた。
「あなたには何か見えますか?」とカーナヴォン卿が聞くと、カーターは息をのみながらこう答えたとされている。「はい、素晴らしいものが」。
黄金に輝く副葬品の数々。3,300年の時を経てもなお完全な姿で残されたファラオの宝。その発見は全世界に衝撃を与えた。
そしてそれから間もなく、「呪い」の物語が始まる。
不吉な予兆——カナリアとコブラ
「呪い」の予兆として最も有名なエピソードがある。
カーターは発掘現場に飼いカナリアを連れていた。現地の作業員たちはその美しい声でさえずる黄色い鳥を「黄金の鳥」と呼び、幸運の象徴として喜んだ。果たしてカナリアを持ち込んだ直後に墓が発見され、鳥への信頼は高まった。
しかし墓の開封後、そのカナリアがコブラに飲み込まれているのが発見された。コブラは古代エジプト王家の象徴であるウラエウス(王冠に飾られる聖蛇)だ。現地の作業員たちはこれを「ファラオがカナリアの姿をした幸運を奪った」という不吉な前兆として怯えた。
さらに墓の入口には、こんな碑文が刻まれていたという。
「偉大なるファラオの墓にふれた者に、死はその素早き翼をもって飛びかかるであろう」
これが後に世界中を震撼させる「ファラオの呪い」の予告として語り継がれることになる。
カーナヴォン卿の死——呪いの「始まり」

1923年4月5日、カーナヴォン卿がカイロで死亡した。墓の封印が解かれてから、わずか数ヶ月後のことだった。
死因は蚊に刺された傷からの感染による敗血症だった。髭を剃る際に蚊に刺された傷を誤って切ってしまい、そこから感染が広がったとされる。
カーナヴォン卿が息を引き取った瞬間、カイロ中の電気が突然消えたという。彼の息子によれば、同時刻にイギリスの邸宅にいた愛犬が悲しげな遠吠えとともに息絶えたとも伝えられている。
この死は世界中の新聞が一斉に報道した。「ファラオの呪いが発動した」——そう書きたてたのは、タイムズ紙と独占契約を結んでいたカーターへの対抗心から他紙が煽った面も大きかったとされるが、一度広まった「呪い」の物語はもはや誰にも止められなかった。
「呪いの犠牲者」とされた人々——死者リスト
カーナヴォン卿の死をきっかけに、「ツタンカーメンの呪いの犠牲者リスト」がメディアによって作られていった。主な人物を整理する。
アーサー・メイス——発掘チームのメンバーで、埋葬室の開封に立ち会った考古学者。1928年に死亡。長年の病による衰弱死だったが「呪いの犠牲者」とされた。
アーチボルド・ダグラス・リード卿——ツタンカーメンのミイラにX線撮影を行った放射線学者。1924年に謎の病気で急死。撮影翌日から体調を崩し3日後に亡くなったとされ、「X線機械の持ち込みを拒否された翌日に死んだ」という劇的な語り口で広まった。
リチャード・ベセル——カーターの秘書で、墓所に最初に入った人物のひとり。1929年にロンドンの会員制クラブの一室で窒息死しているのが発見された。不審な状況だったが、死因の詳細は不明のままだ。
アリー・カメル・ファハミー・ベイ王子——エジプトの王子で、1923年7月に王墓を訪問して記念写真を撮影した直後、滞在先のホテルで妻に射殺された。発掘との直接的な関係はないが「呪いの犠牲者」リストに加えられた。
アーロン・エンバー——著名なエジプト学者でカーターと交流があった人物。1926年、ボルティモアの自宅でディナーパーティ後に火災が発生。再び家に入ったエンバーは脱出できず死亡した。彼が当時執筆していた原稿のタイトルは「エジプトの死者の書」だったという。
ブルース・インガム卿——カーターから「ミイラの手でできたペーパーウェイト」を贈られた人物。そのペーパーウェイトには「私の体を動かす者に、火と水と疫病がもたらされる」という文句が刻まれていたという。贈り物を受け取った直後に自宅が全焼し、再建後に浸水被害を受けたとされる。
オーブリー・ハーバート——カーナヴォン卿の異母兄弟。発掘との直接的な関係はないが、兄の死から5ヶ月後に歯科手術後の敗血症で死亡。「呪いは関係者の家族にまで及ぶ」という伝説に使われた。
「呪いの碑文」は本当に存在したのか

「偉大なるファラオの墓にふれた者に、死はその素早き翼をもって飛びかかるであろう」——この碑文は今も広く引用されるが、実は墓の中で確認された碑文ではない。
ツタンカーメンの墓の発掘記録を詳細に調査した研究者たちによれば、この種の「侵入者への呪い」を明記した碑文は発見されていない。王家の谷の他の墓にある一般的な警句が混同されたか、あるいはメディアによって創作・誇張された可能性が高いとされている。
また、カーターの飼いカナリアがコブラに飲まれたのは、墓の発見と同じ日ではなく1ヶ月以上後のことだったという記録もある。
「呪いの物語」は、最初から事実と誇張と創作が入り混じった状態で世に広まっていたのだ。
科学的に「呪い」を説明する3つの仮説

「呪いの犠牲者」とされた人々の死に、科学的な説明を与えようとする試みも続けられてきた。
仮説① 有毒カビ説
密閉された古代の墓の中には、長年の間に繁殖した有毒なカビが存在する可能性がある。特に「アスペルギルス・フラバス(Aspergillus flavus)」という有毒カビは、3,000年以上前のエジプトのミイラからも検出されている。
このカビの胞子を吸い込むと、免疫力が低下している人間には深刻な肺感染症を引き起こすことがある。発掘当時のカーナヴォン卿は健康状態が優れておらず、免疫力が低下していた可能性がある。
2025年6月には、米ペンシルベニア大学を中心とする研究チームが、この「ファラオの呪いのカビ」から新たながん治療薬の開発に成功したと科学誌『Nature Chemical Biology』に発表した。皮肉なことに「死のカビ」が命を救う薬になろうとしている。
ただし、有毒カビ説で説明できるのはカーナヴォン卿のような「墓に直接入った人物」に限られる。遠く離れた場所で死んだ人物や、訪問後何年も経ってから亡くなった人物の死を説明することはできない。
仮説② 放射線説
密閉された古代の墓の中には、放射性物質が蓄積している可能性がある。古代エジプト人は一部の顔料に放射性物質を含む鉱物を使用していたことが知られており、長期間の被曝が体調不良や死亡につながった可能性があるという説だ。
ただし、この説も「墓に直接入った人物」以外の死を説明するには無理がある。
仮説③ 確証バイアス説
心理学的な観点から最も説得力があるのが、「確証バイアス」による説明だ。
「ツタンカーメンの呪い」が広まった後、メディアは発掘関係者や周辺人物の死を積極的に報道した。一方で長生きした関係者の話は報道されなかった。人間は自分の信じたいことを裏付ける情報を集め、反証となる情報を無視する傾向がある(確証バイアス)。
つまり「呪いの犠牲者リスト」は、最初から「呪いを信じたい人々」が集めた情報のコレクションであり、客観的な統計ではなかった可能性が高い。
「呪い」の真相——統計で検証する
では実際のところ、発掘関係者は「通常より早く」死んでいたのか。
2002年にオーストラリアの研究者マーク・ネルソンが行った統計的調査が、この問いに対する最も明確な答えを出している。
ネルソンは墓の開封に関わった44人(発掘チームの直接メンバー)と、関係のない対照グループの平均寿命を比較した。結果は、発掘チームメンバーの平均寿命が約70歳で、対照グループと有意な差はなかった。
さらに重要な事実として、墓の前室に最初に入った4人——ハワード・カーター、カーナヴォン卿、アーサー・キャレンダー、カーナヴォン卿の娘イヴリン・ハーバートのうち、発掘から数年以内に死亡したのはカーナヴォン卿だけだ。
カーターは1939年に65歳で死亡(発掘から17年後)、キャレンダーも同年60歳以上で死亡、イヴリン・ハーバートに至っては1980年に78歳で亡くなっている。
「1930年までに発掘関係者22人が死亡し、生き残ったのはわずか1人だけ」という語り口は、統計的に完全なデタラメだったのだ。
| 名前 | チームの役割 | 死去 | 年齢 | 1992年以降 |
|---|---|---|---|---|
| カーナヴォン卿 | 発掘資金提供者 | 1923年 | 57歳 | 1年 |
| ハワード・カーター | 発掘チームリーダー | 1939年 | 65歳 | 17年 |
| アーサー・クラッテンデン・メイス | カーターの右腕 | 1928年 | 54歳 | 6年 |
| アルフレッド・ルーカス | 化学者 | 1945年 | 78歳 | 23年 |
| ハリー・バートン | 写真家 | 1940年 | 61歳 | 18年 |
| アーサー・R・カレンダー | エンジニア、建築家 | 1936年 | 61歳 | 14年 |
| パーシー・ニューベリー | エジプト学者、植物学者 | 1949年 | 80歳 | 27年 |
| アラン・H・カレンダー | エジプト学者 文献学者 | 1963年 | 84歳 | 41年 |
| ジェームズ・H・ブレステッド | エジプト学者 | 1935年 | 70歳 | 13年 |
| ウォルター・ハウザー | 建築家 | 1959年 | 66歳 | 37年 |
| リンズリー・フット・ホール | デザイナー | 1969年 | 86歳 | 47年 |
| リチャード・アダムソン | 発掘現場警備警察巡査部長 | 1982年 | 81歳 | 60年 |
なぜ「呪い」は生まれ、広まったのか——メディアの役割

ツタンカーメンの呪いという都市伝説が生まれた背景には、当時のメディア事情が深く関わっている。
カーターはタイムズ紙と発掘の独占報道契約を結んでいた。他の新聞社はこの情報独占に強い不満を持ち、対抗手段としてタイムズが報道できない「呪い」の噂話を積極的に取り上げた。
「呪い」という物語はセンセーショナルで読者を引きつける。発掘関係者が死ぬたびに「また呪いの犠牲者が」と報道すれば新聞は売れる。長生きした関係者の話は地味で売れない。こうして情報は自然と「呪いを支持する方向」に偏って流通した。
1920年代のエジプトは、ツタンカーメンの発見に世界が熱狂していた時代だ。神秘と死が絡み合うこのような物語が爆発的に広まったのは、ある意味で必然だった。
2025年現在——「呪いのカビ」が癌治療薬に

2025年6月、「ファラオの呪いのカビ」に関する驚くべきニュースが報じられた。
米ペンシルベニア大学の研究チームが、アスペルギルス・フラバスから抽出した化合物を用いた新たな抗がん薬の開発に成功したと発表したのだ。研究の詳細は科学雑誌『Nature Chemical Biology』に掲載されている。
3,000年の眠りから覚めた「死のカビ」が、現代人の命を救う薬に変わろうとしている。ツタンカーメンの呪いは今も、思いがけない形で現代の科学と交差し続けている。
まとめ——呪いは「あった」のか「なかった」のか
ツタンカーメンの呪いについて、現時点で言えることをまとめる。
「ファラオの呪い」の碑文は確認されていない。発掘関係者の平均寿命は一般と変わらなかった。「1930年までに生き残ったのは1人だけ」という話はデタラメだった。カナリアがコブラに飲まれたのは発見当日ではなかった。
一方で、有毒カビや放射性物質による健康被害の可能性は完全には否定できない。カーナヴォン卿の死のタイミングと状況は、今も科学的に完全に説明されたわけではない。
「呪いは存在しなかった」と断言するのが最も科学的に正確だろう。しかし100年以上にわたって世界中の人々を魅了し続けてきたこの物語は、「事実かどうか」とは別の次元で生き続けている。
人間は謎を求め、偶然の中に意味を見出したがる。ツタンカーメンの呪いは、その普遍的な人間の心理が生み出した、最も成功した都市伝説のひとつかもしれない。
少年王は3,300年後も、私たちを魅了し続けている。
Carter, Howard. “The Tomb of Tutankhamun.” (1923).
Hoving, Thomas. “Tutankhamun: The Untold Story.” (1978).
Reeves, Nicholas. “The Complete Tutankhamun: The King, the Tomb, the Royal Treasure.” (1990).
Zahi Hawass, “The Golden Age of Tutankhamun.” (2004).
National Geographic, “Unwrapping the Secrets of Tutankhamun.” (2005).
Conan Doyle, Arthur. “The History of Spiritualism.” (1926).
