徳川吉宗(とくがわ よしむね)は、江戸幕府の8代目将軍として歴史にその名を刻んだ人物です。吉宗は、財政再建と社会の安定を目指した「享保の改革」で有名で、その質素倹約の精神は江戸時代に大きな影響を与えました。今回は、そんな徳川吉宗の生涯と、彼が行った政策についてサクッと解説します!
徳川吉宗の生涯年表
まずは、徳川吉宗の生涯を年表で振り返ってみましょう。
年 | 年齢 | 出来事 |
---|---|---|
1684年 | 0歳 | 紀州藩(和歌山県)に生まれる。 父は徳川光貞(みつさだ)、母は妙方。 |
1705年 | 21歳 | 紀州藩主となり、藩政を執行する。 財政難の紀州藩を立て直すためにさまざまな改革を行う。 |
1716年 | 32歳 | 7代将軍・徳川家継が死去し、吉宗が8代将軍に就任する。 江戸幕府の実権を握る。 |
1719年 | 35歳 | 「享保の改革」を本格的に開始。 財政再建や社会の安定化を目指す政策を実施。 |
1721年 | 37歳 | 「目安箱」の設置を行い、庶民の意見を幕政に取り入れる。 |
1736年 | 52歳 | 金銀の含有量を見直した「元文の改鋳」を行い、貨幣制度を改革。 |
1745年 | 61歳 | 将軍職を徳川家重に譲り、隠居する。 しかし、隠居後も幕政に大きな影響を与え続ける。 |
1751年 | 67歳 | 江戸城で死去。 吉宗の改革は、その後の江戸幕府の安定に大きな影響を与えた。 |
徳川吉宗が行ったこと
吉宗は、藩主時代から培った統治能力を発揮し、8代将軍として江戸幕府に数々の改革をもたらしました。彼の政策は、「享保の改革(きょうほうのかいかく)」として知られ、江戸時代の財政再建や社会の安定化に大きく寄与しました。それでは、吉宗が行った主な施策を見ていきましょう。
享保の改革
徳川吉宗の最も有名な功績が、「享保の改革」です。これは、財政の立て直しと社会の安定化を目指して行われた一連の改革です。
倹約令の発布
無駄な出費を削減するために、幕府や大名に対して倹約を求めました。贅沢品の購入や華美な装飾を控えるように指示し、幕府の財政を引き締めました。
上米の制
大名たちに米を献上させる代わりに、参勤交代の回数を減らすという制度を導入しました。これにより、幕府の収入を増やし、大名たちの負担を軽減しました。
年貢率の引き上げと農村改革
吉宗は年貢米を増やすために、農村の税負担を見直しました。農村の実態を把握するために自ら農村を視察し、農業の効率化を図りました。また、米の備蓄を進め、飢饉への備えを強化しました。これらの農村改革は、幕府の財政を支えるために重要な役割を果たしました。
目安箱の設置
吉宗は、庶民の声を幕政に取り入れるために、「目安箱」を設置しました。これは、庶民が自由に意見を投書できる箱であり、吉宗はこれを通じて幕府への意見や苦情を集めました。
この目安箱の設置は、庶民の声を反映した政治を行うという吉宗の姿勢を示しており、江戸時代の政治改革における画期的な取り組みとして評価されています。例えば、医療機関の設立や米価の調整など、庶民の生活に直結する問題にも目を向ける姿勢が庶民からの信頼を高めました。
蘭学(西洋医学)の奨励
吉宗は、西洋の学問や技術に対しても興味を持ち、蘭学の奨励を行いました。これにより、西洋医学や天文学など、当時の日本において新しい学問の発展が促進されました。
吉宗はオランダ語の辞書の編纂を命じたり、医学書の翻訳を進めさせたりすることで、江戸時代における蘭学の基礎を築いたとされています。
金銀の改鋳(元文の改鋳)
1736年、吉宗は「元文の改鋳(げんぶんのかいちゅう)」を行い、貨幣制度を改革しました。金銀の含有量を見直して、新たな貨幣を発行し、流通していた貨幣の品質を向上させました。この改革は、幕府の経済政策の一環として、経済の安定化を図るために行われたものです。
まとめ:徳川吉宗のすごさとは?
徳川吉宗は、8代目将軍として江戸幕府の改革を推進し、「享保の改革」を通じて財政再建と社会の安定を実現しました。彼の実用主義的な政策は、江戸時代の社会に大きな影響を与え、後の幕府の運営にも受け継がれました。
サクッと解説した通り、吉宗のしたことには、庶民の声を政治に取り入れる「目安箱」や西洋学問の奨励など、先進的な取り組みも含まれています。また、農村改革を行い、お米の生産や備蓄の強化に努めたことも、江戸時代の安定を支える上で非常に重要な政策でした。
彼の治世は、江戸時代の安定と繁栄の基礎を築いた重要な時代であり、「享保の改革」によって幕府の歴史に新たなページを刻みました。