【徳川家重の生涯】9代目は何した人?まったり将軍ライフをサクッと解説!

徳川家重(とくがわ いえしげ)は、江戸幕府の9代目将軍として、徳川吉宗の跡を継いだ人物です。彼の将軍在職期間は、長かったものの、あまり華々しい功績がないため、一般的に知られている将軍とは少し異なります。しかし、彼の時代にも江戸幕府を支える重要な出来事がいくつかありました。今回は、そんな徳川家重の生涯と、彼がどのような役割を果たしたのかを簡単にサクッと解説していきます!

目次

徳川家重の生涯

徳川家重
出典:ウィキメディア・コモンズ

まずは、徳川家重の生涯を振り返り、彼がどのような人生を歩んだのか見てみましょう。

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年齢出来事
1712年0歳江戸城で生まれる。
父は8代将軍・徳川吉宗、母は側室・お由利の方。
1716年4歳父・吉宗が8代将軍に就任。
家重は将軍家の嫡男として育てられる。
1745年33歳父・吉宗から将軍職を譲られ、9代将軍に就任する。
吉宗は大御所として幕政に関与。
1751年39歳父・吉宗が死去。家重が幕府の実権を握る。
次第に健康が悪化し、側近である田沼意次(たぬま おきつぐ)が実権を握り、幕府の運営に関わるようになる。
1760年48歳家重の健康悪化により、息子の徳川家治に将軍職を譲り、大御所となる。
1761年49歳江戸城で死去。家重の治世は様々な困難に満ちていたが、次代に多くの課題を引き継いだ。

徳川家重は何をした人?

家重は、8代目将軍・吉宗の長男として、幕府の中心に位置しながらも、健康上の問題から積極的に幕政を執ることが難しかったと言われています。そんな彼の時代に起きた出来事や、幕府運営の特徴を見ていきましょう。

吉宗の路線を継承した静かな時代

家重の時代は、父・吉宗が行った「享保の改革」の延長線上にありました。吉宗が推し進めた財政再建や質素倹約の精神を基本とし、家重もそれを引き継ぎました。しかし、積極的な新政策を打ち出すことはなく、吉宗の方針を淡々と守りながら、安定した幕府運営を維持していました。そのため、家重の時代は「静かな時代」とも呼ばれます。

田沼意次の登用

家重の時代に最も注目されるのが、側近であった田沼意次の台頭です。家重が健康上の問題から政治の細部まで関与できなかったため、田沼意次が幕政を取り仕切るようになります。田沼は家重の信頼を受け、後に幕府の実権を握ることになり、商業の発展や財政の安定化を目指すさまざまな政策を行いました。

田沼意次の登用によって、江戸幕府は商業活動を重視した政策にシフトし、経済活動の活性化を図ろうとしました。しかし、この時代は家重自身の政策というよりは、田沼意次の実力と方針による影響が大きいとされています。

幕府の安定と家重の存在

家重は将軍としての目立った改革を行うことはありませんでしたが、彼の時代に江戸幕府が大きな混乱に陥ることはありませんでした。それは、父・吉宗の築いた体制がしっかりと根付いていたことと、田沼意次の補佐があったからだと考えられます。

家重の存在は、幕府の権威を維持し、内部の安定を保つ象徴的なものだったと言えるでしょう。家重の時代を通じて、江戸幕府は次の時代へとゆるやかに移行する準備を進めていったのです。


まとめ:徳川家重のすごさとは?

徳川家重は、健康上の問題や口調の障害により、積極的な政策を行うことが難しかった将軍でした。しかし、彼の時代に江戸幕府が大きな混乱に陥ることなく、安定を保っていたのは、彼の持つ存在感や、父・吉宗の築いた体制、そして田沼意次の活躍があったからこそと言えます。

家重のしたことは、目立った改革や大きな功績ではなく、むしろ静かに幕府を支え続けることでした。そのため、「何をした人?」と問われれば、「父の政策を継承し、幕府の安定を保った人」と言えるでしょう。サクッと解説した通り、彼の時代は江戸時代の平和と安定を象徴する一時期であり、次代の幕府運営に引き継がれていく大切な橋渡しの時期でした。

参考文献

  • 日本大百科全書(小学館)
  • ブリタニカ国際大百科事典
  • 『徳川家重と田沼意次の時代』
  • 『江戸幕府の運営と歴史』
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