【徳川家宣の生涯】6代目は何した人かサクッと解説!たった2年で挑んだ江戸の改革

徳川家宣(とくがわ いえのぶ)は、江戸幕府の6代目将軍として、わずか2年ほどの短い期間ではありましたが、江戸時代の政治に重要な影響を与えた人物です。今回は、徳川家宣の生涯と彼が何を成し遂げたのかを簡単にサクッと解説します!

目次

徳川家宣の生涯年表

徳川家宣
出典:ウィキメディア・コモンズ

まずは、家宣の生涯をざっくりと年表で見てみましょう。

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年齢出来事
1662年0歳館林藩主・徳川綱重(徳川家光の三男)の長男として江戸で生まれる。
幼名は「徳松(とくまつ)」。
1678年16歳父・綱重が死去。家宣は父の遺領である甲府藩(現在の山梨県)を相続し、甲府藩主となる。このとき「徳川綱豊(とくがわ つなとよ)」を名乗る。
1694年32歳綱吉の実子である徳川徳松が早世。綱吉に子がいなかったため、徳川綱吉の養子として迎えられる。これにより、将軍継嗣(けいし)としての立場が確立される。
1709年47歳5代将軍・徳川綱吉が死去。綱吉の後を継いで、6代将軍・徳川家宣として就任する。
このとき、将軍名を「家宣(いえのぶ)」に改める。
1710年48歳綱吉時代の「生類憐みの令」を廃止。
家宣は生類憐みの令の過剰な保護政策に疑問を持ち、より現実的な統治を目指す。
1711年49歳「正徳の治(しょうとくのち)」を開始。
新井白石の提言に基づき、貨幣の改鋳や、浪費抑制策を進める。
1712年50歳江戸城にて病(インフルエンザ)のため死去。将軍在職期間はわずか2年だった。
家宣の死後、7代将軍には家宣の長男である徳川家継(とくがわ いえつぐ)が就く。

徳川家宣が何をしたのか

徳川家宣が6代目将軍として成し遂げたことは数多くありますが、その中でも特に注目すべきは、前任の綱吉の政策を見直し、新たな方向性を打ち出した点です。以下、家宣が行った主な施策を順に見ていきましょう。

新井白石を登用して「正徳の治」を開始

家宣が最初に行った重要なことは、儒学者であり政治家でもある新井白石を登用したことです。家宣の信頼を受けた新井白石は、江戸幕府の政治を見直し、より平和で安定した統治を目指すための一連の改革を行いました。この一連の改革は「正徳の治(しょうとくのち)」と呼ばれ、家宣の政治の象徴となっています。

新井白石の主な改革

外交政策の見直し

貿易を厳しく制限し、日本国内の経済安定を図る。

貨幣制度の改革

貨幣の品質を向上させ、経済の信頼を取り戻す。

儒教的な政治倫理の強化

朱子学に基づいた統治理念を広め、武士道の精神を再確認。

新井白石の登用は、家宣の政治において大きな転機となり、江戸幕府の安定と発展に寄与しました。

綱吉の「生類憐みの令」を廃止

家宣が将軍となった時、世の中には先代の綱吉が施行した「生類憐みの令」に対する反発がありました。特に、動物愛護に過度な強制を伴うこの法令は、庶民や武士たちの生活に様々な不満をもたらしていました。

家宣は、新井白石の助言を受けて、綱吉時代の『生類憐みの令』を廃止し、庶民に寄り添う統治を目指しました。これにより、庶民の生活が多少なりとも楽になり、家宣の政治は「庶民に寄り添うもの」として評価されるようになりました。

実用主義の経済政策

家宣は、江戸幕府の財政を立て直すために実用的な経済政策を実施しました。綱吉の時代には、豪華な儀式や贅沢が横行していたため、幕府の財政が悪化していました。家宣は無駄な支出を抑え、より効率的な経済運営を目指しました。

倹約令の発布

将軍家や大名に対して倹約を奨励し、無駄な出費を削減。

貨幣改鋳の見直し

綱吉の時代に行われた貨幣改鋳により、貨幣の質が低下していました。家宣は貨幣の質を改善し、経済の安定を図りました。

儀礼の簡素化

先代の綱吉は、儀礼や儀式を重視し、武士たちに厳しい礼儀を要求していました。しかし、家宣はこのような過度な儀礼を簡素化しました。儀礼を合理化し、将軍の威厳を保ちつつも、武士たちにとって無理のない形で行うように改めたのです。

この改革は、武士たちの負担を軽減し、幕府と大名との関係をより良好に保つために役立ちました。また、庶民に対しても、華美な儀礼を控える姿勢を示すことで、家宣の政治が人々の生活に配慮したものであるという印象を強めました。

まとめ:徳川家宣のすごさとは?

徳川家宣のすごさは、彼が6代目将軍として、前任の綱吉の政策を見直し、江戸幕府をより安定させるための方向転換を図ったことにあります。新井白石の登用をはじめ、庶民に寄り添う政治姿勢を示すことで、江戸時代の社会に新たな風を吹き込んだのです。

家宣の治世は短かったものの、彼が行った「正徳の治」によって、幕府の権威がさらに高まり、江戸時代の安定が維持されました。特に、儒学の奨励や貨幣の改鋳による経済の安定化などは、後の徳川幕府にも受け継がれる重要な功績です。

サクッと解説した通り、家宣の政治は「改革」と「安定」を目指したものとして評価されています。彼の取り組みが、江戸時代の長期安定の一部を築いたことは間違いありません。

参考文献

  • 日本大百科全書(小学館)
  • ブリタニカ国際大百科事典
  • 『徳川家宣と正徳の治』
  • 『江戸時代の経済と政治』
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