【徳川家慶の生涯】12代目は何をした人?サクッと解説!幕府を襲う時代の荒波

徳川家慶(とくがわ いえよし)は、江戸幕府の12代目将軍として、約30年にわたり幕府を率いた人物です。家慶の時代は、江戸幕府が変化する社会情勢に直面し、難しい局面を迎えていた時期でもありました。今回は、徳川家慶の生涯と彼が行ったことについて、サクッと簡単に解説します!

12代将軍 徳川家慶の生涯年表

徳川家慶
出典:ウィキメディア・コモンズ

まずは、徳川家慶の生涯を年表で振り返ってみましょう。

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年齢出来事
1793年0歳江戸城で生まれる。
父は11代将軍・徳川家斉、母は側室・お美代の方。
1805年12歳元服し、「家慶」と名乗る。
将軍世子としての教育を受け、政治の基本を学び始める。
1812年19歳徳川御三家の一つである尾張徳川家から養女を迎え、婚姻を結ぶ。
1837年44歳「大塩平八郎の乱」が発生。
大坂での農民一揆が起こり、幕府の統治力に疑問を投げかける。
1838年45歳父・徳川家斉の意向で将軍の座を継ぐ準備が進められ、次期将軍としての活動を開始。
1841年48歳11代将軍・徳川家斉が隠居。家慶が12代将軍に就任する
1841年48歳「天保の改革」が老中・水野忠邦の指導により始まる。
幕府の立て直しを図る一連の改革が進められる。
1842年49歳「薪水給与令」を発布。
外国船に対して水や薪の供給を認め、幕府の外交政策に変化をもたらす。
1844年51歳水野忠邦が失脚し、天保の改革が終了。
幕府の統治に新たな課題が生まれる。
1853年60歳ペリー提督が浦賀に来航し、黒船事件が発生。
幕府に開国の要求が突きつけられる。
1853年60歳同年、家慶は病により隠居。息子・徳川家定が13代将軍に就任する。
1858年65歳江戸城で死去。幕府が困難な状況に直面する中での死去となる。
目次

徳川家慶が行ったこと

徳川家慶の治世は、幕府が内外からの圧力にさらされ、変革を迫られた時期でした。家慶自身は積極的な政治家ではなかったものの、彼の時代に起きた重要な出来事や政策について解説していきます。

天保の改革

家慶の治世に行われた大きな改革の一つが、老中・水野忠邦による「天保の改革」です。天保の改革は、幕府の財政難や社会の乱れを立て直すために行われた一連の政策で、倹約令や農村の復興、物価の安定などが含まれています。

天保の改革の主な内容

  • 倹約令の発布
    贅沢を禁止し、幕府や大名の無駄遣いを抑えることを目的としました。家慶の時代に広まっていた豪華な生活を見直し、財政の引き締めを図ろうとしました。
  • 株仲間の解散
    商人たちの組合である「株仲間」を解散させ、物価の抑制を図りました。しかし、これにより商業活動が停滞し、経済への悪影響を招いたとも言われています。
  • 農村復興策
    農村の復興を目指して、農民に対する借金の帳消しなどを実施。農村の貧困問題を解決しようと試みましたが、改革の効果は限定的でした。

天保の改革の失敗と影響

水野忠邦が指揮した天保の改革は、家慶の時代を代表する出来事ですが、結果的には失敗に終わります。厳しい政策に反発が起きたため、改革の多くは実現せず、水野忠邦も失脚しました。この失敗により、幕府の統治能力に対する疑問がさらに強まり、次の時代への課題が残ることとなりました。

黒船来航と外交政策の転換

エリファレット・M・ブラウン|「アメリカ人の日本上陸」

家慶の治世における最大の出来事が、1853年のペリー提督率いるアメリカ艦隊の来航、いわゆる「黒船事件」です。ペリーは、日本に対して開国と通商を要求し、幕府にとって大きな外交問題を突きつけました。

家慶の対応とその後の影響

家慶自身は、この黒船来航に対して積極的な対応を行うことはできませんでした。しかし、この出来事は幕府にとって避けて通れない問題となり、家慶の後継者である徳川家定や、幕府内での開国派・攘夷派の対立を生むきっかけとなります。

また、家慶の時代には、外国船に対する対策として「薪水給与令」が発布され、外国船に対して水や薪の提供を認めるなど、従来の鎖国政策に変化が見られました。この政策は、幕府が国際情勢の変化に対応しようとする姿勢を示すものでした。

幕府の統治と家慶の姿勢

徳川家慶は、先代の家斉と同様に、積極的に政治を行うというよりも、側近や老中に政治の実務を任せるスタイルをとりました。特に、老中・水野忠邦に改革を任せたことは、彼の統治スタイルを象徴しています。

家慶自身は、伝統を重んじる一方で、時代の変化に適応する積極性を欠いていたとされています。幕府が直面する困難な状況に対して果断な行動を取ることができず、その結果、幕府の衰退を加速させる要因となりました。

まとめ:徳川家慶のすごさとは?

徳川家慶の時代は、幕府が国内外の問題に直面し、変革を迫られる時期でした。家慶自身は、積極的な政治家ではなかったものの、彼の時代に行われた天保の改革や黒船来航などは、幕末に向かう日本の歴史に大きな影響を与えました。

家慶の治世は、幕府が新たな課題に直面し、時代の荒波に揉まれる時期でもありました。サクッと解説した通り、彼の時代は江戸幕府の終焉に向かう重要な転換点を示すものであり、家慶が抱えた難題は次の時代へのバトンタッチとなったのです。

参考文献

  • 日本大百科全書(小学館)
  • ブリタニカ国際大百科事典
  • 『徳川家慶と幕末の動乱』
  • 『江戸時代の政治と外交』
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