【マリー・テレーズの生涯】フランス革命のその後をサクッと解説~亡命生活を生き抜いた王女の波乱の人生

マリー・テレーズは、フランス王妃マリー・アントワネットとルイ16世の長女として生まれ、フランス革命という激動の時代を生き抜いた女性です。

彼女の両親や兄弟は、フランス革命の混乱の中で悲劇的な最期を迎えましたが、マリー・テレーズは唯一生き残りました。

その後、彼女の人生はどのように続いたのでしょうか?

この記事では、フランス革命後の波乱に満ちたマリー・テレーズの生涯と彼女が果たした役割について、サクッと解説します。

目次

マリー・テレーズの生涯年表

まずは、マリー・テレーズの生涯を理解するために、主な出来事を年表でまとめます。

マリー・テレーズ・シャルロット(1778-1851)
出典:ウィキメディア・コモンズ
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年齢出来事
1778年0歳ヴェルサイユ宮殿でマリー・アントワネットとルイ16世の長女として生まれる。
1789年11歳フランス革命勃発。
王室の生活が一変し、テュイルリー宮殿へ移される。
1792年14歳王政が廃止され、王室一家はタンプル塔に監禁される。
以後、厳しい監禁生活を送る。
1793年15歳父ルイ16世と母マリー・アントワネットがギロチンで処刑される。
弟のルイ17世もタンプル塔で監禁される中、健康を害し翌年に死去。
1795年17歳タンプル塔から解放され、オーストリアへ亡命。
ウィーンの宮廷で祖母マリア・テレジアのもとで過ごす。
1799年21歳フランス王室の一員として、スペイン王家のルイ・アントワーヌと結婚。
結婚後は「マダム・ロワイヤル」として知られるようになる。
1814年36歳ナポレオンが失脚し、フランス王政復古が実現。
夫と共にフランスに帰国し、ルイ18世の王政下で王族として過ごす。
1830年51歳7月革命で王政が再び崩壊。
再度の亡命生活を余儀なくされ、オーストリアなどで過ごす。
1851年72歳オーストリアのフロリサンドで死去。
フランス革命期を生き抜いた唯一の王室成員として、その波乱の生涯を終える。

マリー・テレーズの生涯~フランス革命まで

マリー・アントワネットと子供たち(1787年)。ヴェルサイユ宮殿
出典:ウィキメディア・コモンズ

王室のプリンセスとしての幼少期

マリー・テレーズは、フランス王妃マリー・アントワネットとルイ16世の長女として、ヴェルサイユ宮殿で生まれ、王室の一員として、幼少期は豊かな教育と愛情を受け、華やかな宮廷生活を送りました。

しかし、1789年にフランス革命が勃発すると、その生活は一変します。

王室一家は、ヴェルサイユ宮殿からパリのテュイルリー宮殿に移され、革命の混乱の中で監視下の厳しい生活を余儀なくされます。

フランス革命と監禁生活

フランス革命の激化により、王室一家は1792年に王政廃止の決定を受け、タンプル塔に監禁されます。

この時、マリー・テレーズはまだ14歳で、両親とともに厳しい監禁生活を強いられました。

翌年、父ルイ16世が処刑され、さらに母マリー・アントワネットも処刑されてしまいます。

その後もマリー・テレーズは監禁生活を余儀なくされますが、タンプル塔での生活は非常に過酷であり、弟ルイ17世も健康を害し、1795年に亡くなってしまうのです

このとき、彼女は王室の中で唯一の生き残りとなります。

マリー・テレーズの生涯~フランス革命後

1795年以降のアングレーム公爵夫人マリー・テレーズ・シャルロット(マダム・ロワイヤル)
出典:ウィキメディア・コモンズ

亡命と結婚

1795年、17歳になったマリー・テレーズはタンプル塔から解放され、オーストリアへ亡命しました。

祖母マリア・テレジアのもとで過ごしながら、革命で失った家族の悲しみを抱え、亡命生活を続けます。

1799年、スペイン王家のルイ・アントワーヌと結婚し、「マダム・ロワイヤル」として知られるようになりました。

この結婚により、彼女はフランス王室の正統な血筋を守り続ける立場を強固にしました。

王政復古とフランス帰国

1814年、ナポレオンが失脚したことでフランス王政が復活。

マリー・テレーズは夫とともにフランスへ戻り、ルイ18世の王政下で王族としての生活を再開しました。

しかし、王政復古後のフランス社会は、革命の前とは全く異なり、彼女は変わりゆく時代に苦悩しながらも王室の伝統を守るために尽力します。

再びの亡命生活

1830年、7月革命により王政が再び崩壊し、マリー・テレーズは再度亡命を余儀なくされます。

その後、オーストリアなどヨーロッパ各地で亡命生活を送りました。

彼女は亡命中もフランス王室の正統性を支持する存在として、各国の王侯貴族と交流し続けます。

晩年と死

亡命先ではフランス王室の歴史と文化を守り続けるため、自身の記憶や手紙を記録として残し、1851年、72歳でオーストリアのフロリサンドでその生涯を閉じました。

彼女の存在は、激動の時代における王室の象徴であり、波乱の人生を通じてその意義を後世に残しました。

マリー・テレーズのその後まとめ

マリー・テレーズの生涯は、フランス革命という歴史的激動期を乗り越え、王室の伝統と正統性を守るために戦い続けたものでした。

その後の人生において、彼女が果たした重要な役割についてまとめます。

フランス王室の象徴と正統性の守護者

マリー・テレーズは、「マダム・ロワイヤル」として、亡命貴族や王党派にとってフランス王室の正統性を象徴する存在となりました。

彼女は亡命先でもヨーロッパの王室と関係を築き、王室復権のシンボルとして政治活動を行いました。

無子の生涯と王朝存続への影響

彼女とルイ・アントワーヌの間には子供が生まれず、フランス王室の未来に不安を残しました。

次世代の王位継承者がいないという事実は、王室復興を願う王党派にとって大きな課題であり、彼女自身もその重責を感じていたとされています。

王室の歴史・文化の保護者としての活動

マリー・テレーズは、自身の手紙や記録を通じてフランス王室の歴史と文化を守りました。

これらの記録は、フランス革命から王政復古までの時代を知る貴重な資料となり、彼女の「生き証人」としての意義を後世に伝えています。

また、亡命生活の中で慈善活動も行い、王族としての責任を果たそうとする姿勢は多くの人々から尊敬されました。

マリー・テレーズの生涯を振り返ることで、フランス革命を生き抜いた王室の視点や、変わりゆく時代に直面した人々の苦悩を学ぶことができるでしょう。

参考文献

  • 『マリー・テレーズ』『フランス革命の女たち』西川長夫
  • 『ヴェルサイユ宮殿の生活』ダニエル・ロシュ
  • 『フランス革命と王政復古』
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