「長岡京ワラビ採り殺人事件」は、被害者がワラビ採りをしていたことからこの名前がつけられました。
この未解決事件は、凄惨な現場状況から当時の日本社会を震撼させ、目撃情報から様々な容疑者が浮上しましたが、未だに犯人の特定に至っていません。
この記事では、事件の詳細について分かりやすく情報をまとめました。
「長岡京ワラビ採り殺人事件」の概要

1979年5月23日、京都府長岡京市の山中で、ワラビ採りをしていた二人の女性が突如として行方不明になりました。Aさん(43)とMさん(32)はスーパーでの勤務を終えた後、山にワラビ採りに出かけましたが、夕方になっても帰宅せず家族が心配して警察に捜索を依頼しました。
その翌々日の5月25日、山中の藪の中で二人の遺体が発見されました。二人の遺体は酷く損傷しており、複数の刺し傷や打撲痕、婦女暴行の痕跡が確認されましたが、犯人を特定する手がかりがほとんど残されていないことから捜査は難航し、1994年5月24日に公訴時効が成立しています。
被害者の当日の足取り

被害者は、長岡京市に住む主婦のAさん(43)とMさん(32)。二人は地元のスーパー「いずみや」に勤めるパート仲間。Aさんはワラビ採りに慣れていたが、Mさんは全くの初心者で、同日午後3:30頃には保育園に子どもを迎えに行く予定だった。
いずみやでの早番勤務を終え、同店で弁当を購入し、自転車で野山へ出かけた。
野山のふもとにある寺院「寂照院」前の畑に自転車をとめ、午前11時ごろに入山したのを目撃されたのを最後に行方不明になる。
- 寂照院近くの工事現場のガードマン
- 登山道入り口近くの竹林で作業をしていた夫婦
発見までの捜索状況
帰宅しないMさんを心配し、Mさんの夫が一人で野山を捜索したが、見つからなかった。
夜勤明けのAさんの夫も捜索に加わったが、2人を見つけることはできなかった。
午後2時50分、向日町署に捜索願を提出。署員30人が捜索を開始したところ、登山道入り口近くにある「寂照院」前の畑で、二人の自転車を発見する。現場近くのガードマンから「23日の午前11時頃に二人が山へ入るのを見た」という目撃情報を得る。その日捜索は深夜にまで及ぶも2人の行方はわからず。
午前9時から捜索開始。警察や行方不明者の家族、同僚、地元消防団など、計120人と警察犬3頭が捜索に参加。
午前10時30分頃、「野山」山頂付近雑木林にて、警察犬が反応を示したのをきっかけにAさんの遺体を発見。Aさんの遺体発見場所から斜面を約10メートル程度登ったところで、Mさんの遺体も発見された。
遺体の発見時の状況

犯人に突き落とされた為か、Aさんの遺体は45度近い斜面でひっかかっており、仰向けの状態で倒れていた。服装はスポーツシャツにジーパン。シャツのボタンは1部がとれ、靴は脱げていたが、着衣に乱れはなかった。
Mさんの遺体は、Aさんの遺体が見つかった斜面を数メートル登った場所にある、獣道行き止まりの小さく開けた場所で見つかった。うつ伏せの状態で、ナップサックは背負ったまま。下半身は裸、パンストと下着が脚に絡まり、着衣が乱れた様子だった。発見者がAさんの体を起こすと、左胸に文化包丁が突き刺さったままになっていた。包丁はシャツの下で、直接心臓を捉えていた。
- 2人のリュックには、空の弁当箱、束になったワラビ、財布は入ったままだった。
- Aさんのジーパンの右ポケットから、レシートの裏に書かれた殴り書きのメモが見つかる。
検視の結果

司法解剖の結果、胃に残された残留物から昼食をとってから1時間以内に殺害されたと断定し、死亡時刻はどちらも正午過ぎから午後2時半までと判明した。
Aさんの直接の死因は絞殺による窒息死。遺体には手で首を絞められた痕がある他、30カ所にも及ぶ皮下出血の痕があり、あばら骨は9本折れ、肝臓が破裂していた。Aさんの体内からは犯人のものと思われる体液が検出されている。
Mさんの直接の死因は、刃物で刺された事による失血死であるが、首を紐で絞められた痕跡もあった。50カ所にも及ぶ皮下出血の痕跡がみとめられ、左胸部に刺さった包丁は、左第四肋骨を切断し、心臓から肺にまで到達していた。Mさんの体内から体液は検出されなかったが、膣壁に剥離が確認された。また、犯人のものと思われる体毛が付着していた。
- 複数の打撲痕から空手などの格闘技の心得がある。
- 所持品やお金などには手を付けていない事から、物取り目的の犯行ではない。
- 殺害方法から、性的暴行が目的でサディスティックな思考の持ち主である。
「長岡京ワラビ採り殺人事件」事件解決の手がかり
「長岡京ワラビ採り殺人事件」は、凄惨な事件であったにもかかわらず、犯人に繋がる決定的な証拠はありませんでした。ここからは、現場に残された3つの遺留品について解説します。
被害者が残した走り書きのメモ

Aさんの履いていたジーパンの右ポケットからは、勤務先のスーパー「いずみや」のレシートがくしゃくしゃの状態で見つかります。その裏には「オワレている たすけて下さい この男の人わるい人」と鉛筆で走り書きされていた。
字の乱れから、レシートは手のひらで隠すようにしながら急いで書いたものと推定。これにより犯人は単独犯だと断定される。
遺体から約17メートル離れた表層土砂をふるいにかけた際に、メモを書くのに使用されたと思われる鉛筆の芯の先端部分が見つかる。鉛筆自体は見つかっていない。
現場に残された包丁
Mさんの左胸部に突き刺さっていた文化包丁は、全長30センチ、刃渡り18センチ、最大幅4.5センチ、柄が木製のステンレス包丁。犯人の指紋は検出されず、メーカーの刻印もなし。
岐阜県関市で製造された約7万本のうちの1本であることが判明した。事件の数年前に製造中止になっていた型で、無銘のままアウトレット品として流通したものと推測されたが、犯人にはたどり着かなかった。
犯人のDNA
Aさんの体内からは、犯人のものと思われる体液が見つかる。Mさんには、犯人のものと思われる体毛が付着していた。
鑑定の結果、犯人の血液型はO型と判明したが、1979年の事件で鑑定精度は不明。(Aさんから採取された体液はAorO型と鑑定された。)血液型の情報だけでは犯人の特定には至らず。
不審者情報から捜査線上に浮上した容疑者
事件現場の野山は、散歩代わりに地元の人が山菜採りに訪れているような場所だが、木や竹が鬱蒼と生い茂り、昼間でも薄暗いところが多く、事件前から婦女暴行事件も発生していました。事件当日は山菜取りシーズンのため15~16人程度が入山。被害者女性二人が自転車を止めた寂照院近くの空き地や登山口に、乗用車やライトバンなど5~6台の車が停められているのが目撃されている。
同時刻に入山した男二人組
白いシャツ、ジーパンのようなズボン、手荷物なしの「ハイカーに見えない男二人組」が、被害者二人が山に入った直後に入山するのを、近くの竹やぶで作業をしていた山林所有者が目撃している。時刻は、5月23日の午前11時半頃。以降の情報はなく正体は不明のまま。
不良グループに属す建設作業員の二人

重要参考人として任意で事情聴取を受けたのが、長岡京市に住む建設作業員A(28)とB(28)。2人は事件当日の23日昼過ぎに、現場の野山から逃げるように下山したところを地元の人に目撃されている。特にAは空手の心得があり性格が粗暴で、度々喧嘩をふっかけるなど不良仲間の間でも「暴れん坊」として通っている。
- 事件前は現場近くで度々目撃されていたが、事件の翌日から仕事に精を出し、まじめを装うなど不自然な点が多い。
- 事件後、夜一方の自宅前で秘密裏に会話するなどの姿が目撃されている。
「ワラビ採れますか?」声掛け男

被害者たちが殺害される1週間前に、入山していた主婦に声「採れますか?」とをかけた40~45歳くらいの中年男性。身長は170cm、服装はスポーツシャツにズボンという軽装。サラリーマン風。
よく似た人物を目撃したという情報は全部で3件あり、何れも水曜日と木曜日に集中。被害女性二人が殺害さた「水曜日」とも一致している。男の似顔絵は作成され、事件3ヶ月後に一般公開されたが身元は判明しなかった。
- 事件の約1年前の寄せられた不審者情報と似顔絵に書かれた人相が似ている。
- その人物は包丁を手に持ち「奥さん、ワラビ採れますか?」と声を掛けた。
「長岡京ワラビ採り殺人事件」の不確かな情報
あまりに凄惨で耳を塞ぎたくなる事件ですが、その残虐な殺害方法と被害者が残したメモの存在から、不確かな情報も出回っています。
被害者のアキレス腱を犯人が切断

事件は最初「複数犯」の犯行だと報道されていましたが、被害者の残したメモから警察は「単独犯」と断定。犯人はMさんに包丁を突き付けながら「逃げたらMさんを殺す」とAさんを脅し、犯人がMさんを暴行してる隙にAさんがメモを走り書きしたと推測されました。
この頃から、被害者が逃亡できない状況を作る為の「アキレス腱切断説」が浮上したと思われます。
関連性の疑われている事件

「長岡京ワラビ採り殺人事件」から約5年後の1984年5月16日、同市で主婦Cさんが首や背中をメッタ刺しにされ、布団にくるまれ、家ごと燃やされるという事件が発生しました。残忍な殺害方法が似ているため、警察がこの事件と長岡京殺人事件の関連性を調べていたことが判明していますが、この事件の警察の記者会見では、ワラビ採り殺人事件と主婦Cとの関係はまったく言及されず、マスコミ関係の人物から報道協定についての証言は一切得られませんでした。
- 主婦Cは、被害者Aさん、Bさんとワラビ採りに出かけたが、先に一人で下山したので殺害から免れた。
- 警察とマスコミは報道協定を結んで、主婦Cの安全のため彼女の存在を公表しなかった。
- 主婦Cは何らかのトラブルでワラビ採り事件の犯人に殺された。
まとめ
「長岡京ワラビ採り殺人事件」は、事件直後から警察が大規模な捜査を行い、地元住民や山に出入りしていた人からの聞き込みを実施しましたが、事件が起きた場所が山中であったため、有力な目撃情報や証拠はほとんど得られませんでした。
また、犯人の体液が残されていましたが、当時の技術ではDNA鑑定などの高度な捜査手法が存在しておらず、証拠の保存状態も悪かったため、犯人を特定するに至りませんでした。当時の捜査手法の限界と情報の不足が、この事件が未解決である理由の一つだと言われています。


