【ロベスピエールの生涯】何をした人?正義と恐怖政治をサクッと解説!

フランス革命といえば、自由や平等を求めた時代の象徴ですが、この革命の中で一際重要な役割を果たした人物の一人がロベスピエールです。

彼は「恐怖政治」の時代を導いたことで知られ、英雄か独裁者か、その評価は今も分かれています。

ロベスピエールは一体どのような人物で、何をしたのでしょうか?

この記事では、ロベスピエールの生涯やフランス革命で果たした役割について、サクッと解説します。

目次

ロベスピエールの生涯年表

ロベスピエールの生涯を年表でまとめてみました。

Anonyme, Portrait de Maximilien de Robespierre (1758-1794),
homme politique. (Nom d’usage), 1758. Huile sur toile. Musée Carnavalet, Histoire de Paris.
出典:ウィキメディア・コモンズ
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年齢出来事
1758年0歳フランス、アラスで生まれる。
1781年23歳パリ大学で法学の学位を取得。弁護士として活動を開始。
1789年31歳フランス革命が勃発。三部会の代議員として活躍。
ジャコバン派に参加し、急進的な政治活動を展開。
1792年34歳王政廃止を宣言。
ジャコバン派のリーダーとして、共和政を推進。
1793年35歳国民公会の一員として権力を握り、公安委員会の指導者となる。
「恐怖政治」を開始。反革命派の取り締まりを強化し、多くの人々を処刑。
1794年36歳反対派を次々と処刑し、恐怖政治を強化。
しかし、同年7月にクーデター(テルミドールの反動)により逮捕され、翌日ギロチンで処刑される。

ロベスピエールって何をした人?

ここでは、ロベスピエールがフランス革命で果たした役割について簡潔に解説します。

彼の行動はフランス社会に大きな影響を与え、その評価は現在でも意見が分かれています。

革命の理念を体現した「正義の人」

ロベスピエールは、「平等」「自由」「人権」を強く信じ、革命の中で実現しようと活動しました。

弁護士時代から貧しい人々を支援し、革命中も土地の再分配や価格統制など民衆に有益な政策を推進。

その清廉な姿勢から「腐敗しない男」と呼ばれ、多くの人々に支持されました。

「恐怖政治」を主導した厳格な革命家

しかし、次第に過激化したロベスピエールは、1793年に公安委員会の指導者となり、「革命を守るためには敵を排除すべき」として、多くの反対派を処刑しました。

友人であったジョルジュ・ダントンらも処刑するなど、容赦ない行動でフランス社会に恐怖を広げることになります。

革命の光と闇を象徴する人物

ロベスピエールは、平等を追求した一方で、多くの犠牲を生み出した「恐怖政治」を主導しました。

彼の評価は、理想を貫いた英雄か、暴力的な独裁者かで意見が分かれ、その生涯は、革命の成功と過激化の両面を象徴しています。

ロベスピエールの生涯と功績

革命前の生い立ちと政治活動の始まり

ロベスピエールは1758年、フランス北部のアラスに生まれました。

幼い頃に両親を亡くし、貧しい中で育ちましたが、優れた学力でパリ大学に進学し、法学の学位を取得しました。

弁護士として活動し、社会的な不平等に対する関心を深めていきます。

1789年、フランス革命が勃発すると、ロベスピエールは三部会(聖職者・貴族・平民の三つの身分による議会)の平民代表として活動し始めました。

彼は「平等」と「市民の権利」を強く訴え、ジャコバン派という急進的な政治グループに参加します。

この時点で、彼は人々から「腐敗しない男」と呼ばれるほど清廉潔白なイメージを持っていました。

王政の廃止と共和政の推進

1792年、フランスで王政廃止が宣言され、ロベスピエールは共和政を推進するリーダーとしての地位を確立しました。

彼はフランスの内外からの脅威に立ち向かうため、革命を守る必要があると考え、王政支持者や反革命派に対して厳しい姿勢を取りました。

ロベスピエールの主張は、フランス革命の理念を守るためには「敵」を排除しなければならないというものでした。

この時期に彼が所属していたジャコバン派は、革命の急進化を推進し、フランス社会の大変革を進めました。

特に、土地の再分配や食料の価格統制など、民衆に利益をもたらす政策を実施しました。

恐怖政治の始まり

1793年、ロベスピエールは国民公会(当時のフランスの議会)の一員となり、公安委員会の指導者として権力を握ります。

この頃、フランス国内では革命を巡る対立が激化し、内戦や外部からの侵略の危機が迫っていました。

ロベスピエールはこれを乗り越えるため、厳しい取り締まりと処刑を繰り返す「恐怖政治」を開始します。

恐怖政治の中で、彼は反革命派や政府に批判的な人々を次々に処刑しました。

処刑の対象には、かつての友人や仲間も含まれており、その数は数万人にのぼるとされています。

ロベスピエールは「自由には多くの犠牲が必要だ」と考え、革命を守るために躊躇なく断固たる行動をとったのです。

ロベスピエールの失脚と最期

1794年になると、ロベスピエールの恐怖政治に対して国民の不満と反感が高まりました。

彼の処刑命令は次第にエスカレートし、敵とみなした者を容赦なくギロチンにかけました。

しかし、その強硬な姿勢が次第に他の革命指導者たちからも危険視されるようになります。

そして、1794年7月、ついにクーデター(テルミドールの反動)が起こり、ロベスピエールは逮捕されました。

翌日、彼はギロチンで処刑され、その恐怖政治も終焉を迎えます。

彼の最期は、まさに彼自身が多くの人々に強いてきた恐怖の中でのものでした。

まとめ

ロベスピエールは、フランス革命の中で最も重要かつ物議を醸す人物の一人です。

彼の生涯を通して、革命における理想と現実、そしてその葛藤を垣間見ることができます。

彼が果たした役割は、革命の進展とともにフランス社会を大きく変えたものの、同時に恐怖と混乱をもたらしました。

ロベスピエールの人生を学ぶことは、歴史の中で理想を追求することの難しさや、社会の変革におけるさまざまな課題を理解するきっかけとなるでしょう。

参考文献

  • 『フランス革命の歴史』ジュール・ミシュレ
  • 『ロベスピエールとフランス革命』アラン・コルバン
  • 『フランス革命の女たち』西川長夫
  • 『フランス革命とその影響』
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