ルイ17世という名前を聞いたことがありますか?
ルイ17世は、フランス革命という激動の時代に生きた王子であり、悲劇の象徴ともいえる存在です。
1785年にルイ16世とマリー・アントワネットの次男として生まれ、幼くして王位継承者となりましたが、フランス革命の渦中で家族とともに幽閉され、わずか10歳で命を落とします。
その死には多くの謎が残されており、特に「ルイ17世の心臓と死」は長年にわたる論争の中心にありました。
本記事では、ルイ17世の心臓と死にまつわる3つの謎とその真相を解説していきます。
ルイ17世の心臓と死にまつわる3つの謎
ルイ17世の最期と遺体の行方
1795年6月8日、ルイ17世はわずか10歳でこの世を去りました。
革命政府によってタンプル塔に監禁され、過酷な生活環境に耐えていたさ中での出来事です。
翌日にはペルタン医師らによる検視が行われ、公式な死因は結核と発表されました。
しかし、その後の埋葬について謎が残ります。
ルイ17世の遺体は王室として正式な埋葬を受けることなく、パリ市内のサント・マルグリット墓地に葬られました。
サント・マルグリット教会に隣接した、パリ市民のための一般墓地。フランス革命の混乱期には、無名の者や革命で命を落とした人々の遺体が埋葬された場所。
後年、この墓地から「ルイ17世のものではないか」と考えられる骨が発見されましたが、それがルイ17世の遺体であるという確証は得られていません。
ルイ17世の最期と遺体の行方には、謎がつきまとうことになります。
密かに取り出された心臓
ルイ17世の死にはもう一つの謎があります。
それは、心臓の行方です。ルイ17世の死後、フランスの医師フィリップ=ジャン・ペルタンが遺体の解剖を担当しました。
ペルタン医師は、フランス王家の伝統に倣って、王子の心臓を取り出しましたが、驚くべきことに正式に埋葬せず、密かに自宅に持ち帰ったのです。
なぜ彼はこのような行動を取ったのでしょうか?
ペルタン医師は、将来の王政復古の際にルイ17世の心臓を王家に返還することを望んでいました。
そのため、遺体から取り出した心臓をハンカチに包み、コートのポケットに入れて自宅へ持ち帰ったと言われています。
心臓の存在は長い間隠され保管されましたが、やがて盗まれてしまいます。
ペルタンの弟子によって持ち去られた心臓は、弟子が死の床で妻に告白するまで行方不明となり、最終的にパリ大司教に送られた後、さらに様々な手を渡ることになります。
その後、心臓は1830年にスペインのブルボン家に渡り、1975年には両親であるルイ16世とマリー・アントワネットの遺骨と共に、パリ郊外のサン=ドニ大聖堂の王室納骨堂に収められましたが、この心臓が本当にルイ17世のものであるかどうかは、長らく疑問視されていました。
この心臓の行方を巡る数奇な運命こそが、ルイ17世の死の真相を巡る重要な謎の一つなのです。
生存説と陰謀説がもたらした混乱
また、ルイ17世の死には、多くの疑念と憶測が絡み合っていました。
フランス革命後の政治的混乱や王政復古を願う勢力の存在が、ルイ17世の生存説を支持する動きを後押ししたのです。
ルイ17世の死後、彼が実は生き延びているという生存説や、革命政府によって何らかの陰謀で秘密裏に処分されたという説が広まりました。
フランス革命後の政治的混乱や王政復古を願う勢力の存在が、ルイ17世の生存説を支持する動きを後押ししたのです。
ルイ17世の存在がフランス王政復古派にとって象徴的な旗印となりうるため、革命政府が彼を暗殺したのではないかという陰謀説もささやかれました。
後のフランス王政復古期に、世界各地で自らをルイ17世だと名乗る偽者が次々と現れ、その数は30人以上にも及びました。
中でも有名なのが、ドイツの時計技師であったカール・ヴィルヘルム・ナウンドルフです。
ナウンドルフは、自分こそがタンプル塔から脱出し、他の子供と入れ替わった本物のルイ17世だと主張し、一部の人々は彼を信じました。
こうした憶測が多くの人々に信じられ、ルイ17世の死の真相は長らく解明されないままでした。
DNA鑑定による真実の解明
こうした混乱が続く中、ルイ17世の心臓や死にまつわる謎がようやく解明されたのは、2004年のことです。
現代の科学技術を駆使し、心臓のDNA鑑定が行われた結果、マリー・アントワネットの髪の毛から採取されたミトコンドリアDNAと一致することが判明しました。
これにより、心臓がルイ17世のものであることが科学的に証明されたのです。
この鑑定結果は、長い間続いていたルイ17世の死を巡る論争に終止符を打つものであり、「ルイ17世は10歳の時に亡くなり、その心臓は確かに彼のものである」という事実を裏付けました。
王子の短い生涯に終止符を打ったフランス革命の惨劇が、ここに一つの真実を迎えることになったのです。
心臓が語るルイ17世の死の真相
ルイ17世の心臓の謎が解明されたことで、彼の死にまつわる様々な説や疑問が解消されました。
ルイ17世の死因が結核であったことも確認され、王政復古派が唱えた陰謀説や生存説は、ほとんどのケースで否定されることとなりました。
現在、ルイ17世の心臓はサン=ドニ大聖堂の王室納骨堂に安置され、両親であるルイ16世とマリー・アントワネットの遺骨と共に納められています。
革命によって引き裂かれた家族が、長い時を経て、ようやく同じ場所で静かに眠ることができました。歴史に刻まれたルイ17世の悲劇は、これからも多くの人々に語り継がれていくでしょう。
- “Louis XVII and the Mystery of His Death.” National Geographic.
- Johan Reinhard’s website.
- “The Heart of Louis XVII: DNA and History.” Science Daily.